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嗟呼燕雀安知鴻鵠之志哉(ああ、燕や雀のごとき小鳥にどうして鴻(ヒシクイ)や鵠(白鳥)といった大きな鳥の志がわかろうか)

 

今日時間があったので、久しぶりに漢書を眺めていました。漢書というのは、中国歴史書である二十四史の一つである歴史書で、二十四史のなかには史記とか三国志とかあります。今日読んでいた漢書は、三国志よりも古い時代の歴史書でだいたい紀元前200年くらいのお話。史記に比べて物語の記述としては面白みに欠けるが、詔や上奏文をそのまま引用しているため、正確さでは史記に勝るとも言われています。その漢書で最も有名な王と言えば高祖劉邦であり、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」でも有名な前漢の初代皇帝でもあります。その劉邦については、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」でも小説になっているので人物像や名言は数多く知れ渡っていると思うので、特に今回は触れません。今日、漢書を読んでいて、最も強く共感をした人物は、陳勝です。

 

劉邦が秦国に対して反秦連合で挙兵し、始皇帝の次の皇帝である秦王子嬰を降服させて秦帝国は滅びました。では今回取り上げた陳勝は何をしたのか・・・劉邦が秦帝国を滅ぼしたきっかけを作ったのが、実は陳勝なのです。陳勝の生い立ち等は割愛しますが、陳勝は元々農民で、当時の秦国で農民兵として辺境守備のために各地で徴発される日々を送っていたと言われています。その当時陳勝と一緒に農民兵の引率を任されていた呉広と秦国が命じた場所に向かっていたところ、大雨に遭い、期日までに農民兵を引率できなくなってしまいました。秦国の法では、いかなる理由があろうとも期日までに到着しなければ斬首というのが決まっており、それに対し不服と思った陳勝と呉広が結託し、謀反を起こす。その謀反の起こし方がまた絶妙なのだが、それは今度紹介したいと思います。その謀反をきっかけに、中華全土で秦国に対し不満を抱いていた実力者達を誘起させ、最終的に劉邦が秦王子嬰を降服させるということとなるのです。つまり、陳勝と呉広が史上初となる農民反乱を起こしたことが、その後の中国歴史を創ったと言ってもいいのではないでしょうか。さらに、高祖劉邦はその陳勝を称え「隠王」の称号を敬譲したと言われています。

 

その陳勝が農民から初めて「王」という称号を敬譲された人物というのは有名な話ではありますが、その陳勝が農民をしていた頃、農夫同士で話をしていた時の言葉が、冒頭に紹介した嗟呼燕雀安知鴻鵠之志哉(ああ、燕や雀のごとき小鳥にどうして鴻(ヒシクイ)や鵠(白鳥)といった大きな鳥の志がわかろうか)なのです。その意味というのは、「自分の大いなる志を同僚である農夫が全く理解をしてくれずため息が出てしまいそうだよ」といったところでしょうか。ここでの燕や雀は小人物、鴻や鵠は大人物の喩えとしていて、もっと言えば、小人物とは、ここでは同僚である農夫、大人物とは陳勝のことを指します。陳勝は富貴の身分になることに相当な憧れがあり、いつもそれを口にしていたと言われていましたが、いま風に言うと自意識過剰といったところでしょう。でも僕はそれに何故か共感以上のものを感じてしまいました。僕は、自分の志に耳を傾けてくれる人が仲間であり、賛成や反対の意見を言ってくれる人全て、仲間であると思っています。無関心な方には、僕も同様に関心は一切ありません。勇気を出してアクションを起こしてみてください。僕が気づきますから、勇気を出して。

 

夢は大いに語るべきことだと思います。夢を語り続け、それを実現し続ける、そして維持し続ける、これこそが生きて仕事をしていくなかで、途轍もなく意識し続けなければいけないのではないでしょうか。All for One, One for Allの精神で。

 

【ひとりごと】ちょこちょこ仕事の内容にも触れていこうかな

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夢追うひとたちへ

非常につまらない内容になります。ただ少しばかり語りたいと思っただけです。

 

 

夢追うひとたちへ

 

人は、夢に恋焦がれる。

 

夢に支えられ、夢に苦しみ、夢に生かされ、夢に殺される。

 

そして夢に見捨てられたあとでも、それは心の底でくすぶり続ける。

 

人は、そんな一生を思い描き、そして夢を一生追い求める。

 

思い描いた夢の殉教者になってもいいと思うくらいなら、

 

そんな生き方、僕には耐えられない。

 

決して人の夢にすがったりしない。

 

誰にも強いられることなく、自分の生きる理由は、

 

自ら定め進んでいかなければならない。

 

【ひとりごと】友よ、元気でやっているか?

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壁は壁でも、自分が押っ立てた壁のことです。僕が生まれて初めて押っ立てた壁は、大学生の頃まで遡ります。「あれもしたい!これもしたい!」という感情のまま、いきなり起業して数カ月後に経験したのが、生まれて初めて押っ立てた壁でした。内容に関しては割愛しますが、その壁を越えるには相当時間が掛かると思った若かりし頃の僕は、壁を越えずに、壁をぶっ壊すことに専念したのを、今でも覚えています。

 

壁。僕は「壁」を語りましたが、前提として「自分が押っ立てた」としています。このニュアンスは、僕のニュアンスでもなく、尊敬する芸術家「岡本太郎」が言い残した言葉であります。岡本太郎は、「壁は所詮自分が押っ立てた壁にしかすぎない。だから壁を越えるのも壊すのも自分だけ。」と言っています。この言葉に出会ったのは、相当昔ですが、上記で紹介させてもらった頃の自分が、この言葉を冷静に思い出して、「壁を壊す」という行動に出たわけではありませんがね。

 

「壁」って一体何なんでしょうね。答えは人それぞれあるかと思います。またその壁を「越える」のか「壊す」のかも同様にです。僕が言いたいのは、「壁」を経験しているかしていないかは、僕が人を視るときの極めて重要な指標になるということです。壁を越えたか壊すかはさほど僕の中では重要視していないは事実で、如何に「壁を経験している」かを僕は重要視しています。全員が全員、「壁」を経験しているとは限りません。少し前に書いたblogでもそうですが(動と静の使い方)、「動」を知らなければ「静」も知る由もないということ。つまり、「動」を得るにはフットワークが必要になり、腰が重い人間は「動も静」も経験出来ずに生きていくということ。これと「壁」はかなり類似していると僕は思っており、「動」が無い人間の前には「壁」も立つことも無いことでしょう。

 

根本的に、「壁」を知っている人間は、「己の夢」を語ってくれます。友人の言葉を借りますが、「夢を忘れないこと」。この言葉をなぜ友人が言ったのかわかりませんが、「夢を語る」ことを忘れてしまっている人間が最近は多くいるような気がします。それか、「夢を語る」こと自体が忘れ去られているようにも思えます。僕が若かった頃、多くの夢を多くの仲間らと語った記憶があります。その仲間たちは、その後、自分が押っ立てた「壁」にぶつかり、必死にもがいたはずです。それがどんな結果であっても、素晴らしい経験をしていると思います。

 

とにかく「夢」を語りましょう。このblogを読んでくれている若者は、今すぐ「夢」を語りましょう。そしてその夢に向かって「動いて」ください。そして自分が押っ立てた「壁」にぶつかってください。その壁を越えるのか壊すかは、壁を押っ立てた君が決めること。逃げてもいいけど、逃げるなら前に向かって逃げなさいよ。

 

【ひとりごと】壁の次は真っ白なキャンバスです

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あなたは夢を誰かに語るときにパッションむき出しで語っていますか?決してそれが悪いとは言っていませんが、いくつになってもそう語っていると愛想を尽かされてしまいますからね。僕が誰かに夢を語るときは、結構意識して話をします。何を意識するのかということですが、それはちゃんと自分は「夢に向かって走りだしているのか」ということを意識しているということですかね。

 

夢を語るときに大事なのは、何でも言っていいとは限らないこと。別に隠し事をしろと言っているわけではありません。夢を語るに隠し事は御法度です。隠すくらいなら夢は語るべからずですよ、お気をつけて下さい。「何でも言っていいとは限らない」という表現ではわかりにくいので下記に書いてみました。これは僕の経験則です。

 

「夢を語りすぎてしまった場合に陥るパターン」
・すでにやっている感に浸る
・実現もしていないのに、語って他人に認められると実現した感に浸る
・語りすぎて疲れてしまう

 

以上の3つですかね。全て僕は経験して、失敗を繰り返してきた人間です。上記3つにはご注意くださいね。そして、以下に夢を語るときのちょっとしたコツを示しました。どうなんでしょう。これも僕の経験則です。一概に皆々さまにアダプトするとは限りませんことを、始めにお伝えしておきます。

 

「夢を語るときのちょっとしたコツ」
・語りたいなら、既に夢に向かって動き出してから語れ
・既に夢に向かって動いたことを具体的に語れ
・調子乗っていたり怠けていたら叱ってと頼め

 

夢を語るだけでなく、夢の実現に向けて今やるべきことを明確にし、実際に行えることが重要なのです。

 

【ひとりごと】でもまぁ夢は語ったもん勝ちのところがあります

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