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Posts Tagged ‘壁’

ベタな内容になりますが、今ピンチなんです、いろいろと。今日も業務後にチーフとコメダでコーヒー飲みながら作戦会議をしていました。既に作戦会議とか言ってる時点で、ピンチではなくチャンスになっているんですけど。

 

帰宅してから、さっき話し合ったことを咀嚼しながら考えていたら、やはりチャンスは2つに分類されるなぁなんてことに浸っていました。1つは、先述したように、ピンチはチャンスの流れ、もう1つは、自らチャンスを獲りに行ったときの流れ。常にピンチの連続という状況ではないので、基本僕は後者寄りだと思うけれど、久しくピンチに遭わなかったことから、今日起こったピンチというのはとても新鮮で、そこからが問題解決能力が発揮されるという地頭が試されるというか、ワクワク感がドッと出てくるというか、とにかくゼロベースからスタートするということを意識していくようになります。

 

ここでも何度も書いていますが、動と静を知らない人には壁(≒ピンチ)は訪れないということを今日改めて意識しました。常に意識していなければいけないような重要なことだっただけに、少しだけ反省しました。自ら呼び込んだピンチというのもが、最近減っているということにも捉えられるし、あかん!あかん!なぁって心のなかで叫んでおりました。やはり、前を向きながらガンガン行かなければ、ピンチなんか出てくるはずもない。ということは、チャンスを2分類した、それも自らチャンスを獲りに行った、という文言は結局のところ、ガンガン行った結果、その時その時のピンチに真摯に向き合い、対処し続けてこれた成果(≒チャンス)だと確信しました。

 

さぁ明日からもがんばろう。

 

【ひとりごと】自ら掴みとれ

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さぁ壁があらわれました

仕事をしていると壁って出てくる。少し前に書いたブログ「壁」でもご紹介したように、自分の目の前に現れた壁ってのは、自分が押っ立てた壁です。岡本太郎も、「壁は所詮自分が押っ立てた壁にしかすぎない。だから壁を越えるのも壊すのも自分だけ。」と言っています。それは、言われてみればそうそうって話になるんですけどね。ブログ「壁」でご紹介しました内容を以下に。

 

「壁」って一体何なんでしょうね。答えは人それぞれあるかと思います。またその壁を「越える」のか「壊す」のかも同様にです。僕が言いたいのは、「壁」を経験しているかしていないかは、僕が人を視るときの極めて重要な指標になるということです。壁を越えたか壊すかはさほど僕の中では重要視していないは事実で、如何に「壁を経験している」かを僕は重要視しています。全員が全員、「壁」を経験しているとは限りません。少し前に書いたblogでもそうですが(動と静の使い方)、「動」を知らなければ「静」も知る由もないということ。つまり、「動」を得るにはフットワークが必要になり、腰が重い人間は「動も静」も経験出来ずに生きていくということ。これと「壁」はかなり類似していると僕は思っており、「動」が無い人間の前には「壁」も立つことも無いことでしょう。

 

必死にもがいてこその壁。動いてこその壁。止まっていたりしたら壁なんか現れないってことなんですよね。ここ数日体調を崩して、お休みをもらっていた間に頭だけはすこぶる動いたので、いろいろアイデアの構築に成功しました。それをカタチにするために、ここ数日多方面にご連絡していると、出てくるわ出てくるわ、壁が。面白くなってきた。でも今日僕の前に現れた壁は、僕が予想もしていなかった壁・・・というより障害物に近いのか、わかりません。明日になっていれば、どっちかわかってることでしょう。でも今は今を楽しもうかと思って、能動的にしていた自分に降ってきた壁を真摯に捉えて考えています。

 

ブログ「壁」でも書きましたが、壁を知っている人間は「己の夢」を語ってくれますし、語ることも出来ます。とか言ってる僕ですが、つい最近、「夢って何ですか?」という質問にすぐに答えられなかったのです。夢というよりも、すべて目標になっているのかもしれないなぁなんてぼやいていました。目標なので、絶対出来る、絶対カタチにしてやる、という自信があるんでしょう僕に。でもこういう自分、あまり好きではありません。なんて言うのかな、カッコつけてるっていうのかな。でもなんかいいな。

 

【ひとりごと】ひとつずつひとつずつ

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今日は3時間睡眠明けで日曜日の業務に。正直後悔した。後悔というと聞こえが悪いので軽く訂正するが、日曜日という名の超ミラクル忙しかったデーでした。病院1階の駐車場に入りきらない飼い主さんらの車が、外の道路まで渋滞しているし、近くのコインパーキングは飼い主さんの車で満車状態。いやぁ閑散期に入ってきたと思っていましたが、ビックリするくらいの忙しさ。ある意味、目が覚めましたけど。

 

重症の症例も次から次に入院になっていき、近隣の先生からの紹介も重なったりでICU(集中治療室)は全て埋まってしまった。ちなみに点滴の器械が足りない状態にも。これには驚いた。明日はCTが複数回回ることにもなったし、オペも倍になった。ちなみに僕も昨日に引き続き、超重症症例を担当することになった。だが、昨日の重症症例が重症過ぎるという経緯から、今日の重症症例のメインからサブにさせてもらった。そこまでしないと診れきれないのが悔やまれる。でもどっちみち、先輩先生の重賞症例のサブにもなったので、抱える症例の数は増えたのだが・・・。

 

昨日の重賞症例を見て、とある先輩が僕にいった一言。「こんな症例、年に1回診るか診ないかだよ」。ということは、僕のピークは今か、と思いました。でもあれですね、意識してしまうことで、動きに制限が掛かったようになってしまうのですね人間という生きものは。その言葉を掛けられ、若干背筋が伸びましたし、今日の僕のパフォーマンスは決して良いかと言われればそうでもない。自分がよく知っている。「ピークが今だ」と思いすぎるリスクのほうが高いと悟った僕ですが、その次の瞬間には、全て捨て去ってしまっていましたね。「ピークを作るのはよくない」と僕の脳が言ったのでしょうか。それは上手く言葉にできないことではありますが、自分の前に壁を作るのと同じで、自分で自分の頭の上に天井つくっちゃダメですね。作っても、アッパーカットでぶち壊せればいいのですが。そこまで熟練者ではないので、今はジャブを磨こうかな。

 

【ひとりごと】超眠い

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壁は壁でも、自分が押っ立てた壁のことです。僕が生まれて初めて押っ立てた壁は、大学生の頃まで遡ります。「あれもしたい!これもしたい!」という感情のまま、いきなり起業して数カ月後に経験したのが、生まれて初めて押っ立てた壁でした。内容に関しては割愛しますが、その壁を越えるには相当時間が掛かると思った若かりし頃の僕は、壁を越えずに、壁をぶっ壊すことに専念したのを、今でも覚えています。

 

壁。僕は「壁」を語りましたが、前提として「自分が押っ立てた」としています。このニュアンスは、僕のニュアンスでもなく、尊敬する芸術家「岡本太郎」が言い残した言葉であります。岡本太郎は、「壁は所詮自分が押っ立てた壁にしかすぎない。だから壁を越えるのも壊すのも自分だけ。」と言っています。この言葉に出会ったのは、相当昔ですが、上記で紹介させてもらった頃の自分が、この言葉を冷静に思い出して、「壁を壊す」という行動に出たわけではありませんがね。

 

「壁」って一体何なんでしょうね。答えは人それぞれあるかと思います。またその壁を「越える」のか「壊す」のかも同様にです。僕が言いたいのは、「壁」を経験しているかしていないかは、僕が人を視るときの極めて重要な指標になるということです。壁を越えたか壊すかはさほど僕の中では重要視していないは事実で、如何に「壁を経験している」かを僕は重要視しています。全員が全員、「壁」を経験しているとは限りません。少し前に書いたblogでもそうですが(動と静の使い方)、「動」を知らなければ「静」も知る由もないということ。つまり、「動」を得るにはフットワークが必要になり、腰が重い人間は「動も静」も経験出来ずに生きていくということ。これと「壁」はかなり類似していると僕は思っており、「動」が無い人間の前には「壁」も立つことも無いことでしょう。

 

根本的に、「壁」を知っている人間は、「己の夢」を語ってくれます。友人の言葉を借りますが、「夢を忘れないこと」。この言葉をなぜ友人が言ったのかわかりませんが、「夢を語る」ことを忘れてしまっている人間が最近は多くいるような気がします。それか、「夢を語る」こと自体が忘れ去られているようにも思えます。僕が若かった頃、多くの夢を多くの仲間らと語った記憶があります。その仲間たちは、その後、自分が押っ立てた「壁」にぶつかり、必死にもがいたはずです。それがどんな結果であっても、素晴らしい経験をしていると思います。

 

とにかく「夢」を語りましょう。このblogを読んでくれている若者は、今すぐ「夢」を語りましょう。そしてその夢に向かって「動いて」ください。そして自分が押っ立てた「壁」にぶつかってください。その壁を越えるのか壊すかは、壁を押っ立てた君が決めること。逃げてもいいけど、逃げるなら前に向かって逃げなさいよ。

 

【ひとりごと】壁の次は真っ白なキャンバスです

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