Feeds:
投稿
コメント

Archive for 2012年5月29日

壁は壁でも、自分が押っ立てた壁のことです。僕が生まれて初めて押っ立てた壁は、大学生の頃まで遡ります。「あれもしたい!これもしたい!」という感情のまま、いきなり起業して数カ月後に経験したのが、生まれて初めて押っ立てた壁でした。内容に関しては割愛しますが、その壁を越えるには相当時間が掛かると思った若かりし頃の僕は、壁を越えずに、壁をぶっ壊すことに専念したのを、今でも覚えています。

 

壁。僕は「壁」を語りましたが、前提として「自分が押っ立てた」としています。このニュアンスは、僕のニュアンスでもなく、尊敬する芸術家「岡本太郎」が言い残した言葉であります。岡本太郎は、「壁は所詮自分が押っ立てた壁にしかすぎない。だから壁を越えるのも壊すのも自分だけ。」と言っています。この言葉に出会ったのは、相当昔ですが、上記で紹介させてもらった頃の自分が、この言葉を冷静に思い出して、「壁を壊す」という行動に出たわけではありませんがね。

 

「壁」って一体何なんでしょうね。答えは人それぞれあるかと思います。またその壁を「越える」のか「壊す」のかも同様にです。僕が言いたいのは、「壁」を経験しているかしていないかは、僕が人を視るときの極めて重要な指標になるということです。壁を越えたか壊すかはさほど僕の中では重要視していないは事実で、如何に「壁を経験している」かを僕は重要視しています。全員が全員、「壁」を経験しているとは限りません。少し前に書いたblogでもそうですが(動と静の使い方)、「動」を知らなければ「静」も知る由もないということ。つまり、「動」を得るにはフットワークが必要になり、腰が重い人間は「動も静」も経験出来ずに生きていくということ。これと「壁」はかなり類似していると僕は思っており、「動」が無い人間の前には「壁」も立つことも無いことでしょう。

 

根本的に、「壁」を知っている人間は、「己の夢」を語ってくれます。友人の言葉を借りますが、「夢を忘れないこと」。この言葉をなぜ友人が言ったのかわかりませんが、「夢を語る」ことを忘れてしまっている人間が最近は多くいるような気がします。それか、「夢を語る」こと自体が忘れ去られているようにも思えます。僕が若かった頃、多くの夢を多くの仲間らと語った記憶があります。その仲間たちは、その後、自分が押っ立てた「壁」にぶつかり、必死にもがいたはずです。それがどんな結果であっても、素晴らしい経験をしていると思います。

 

とにかく「夢」を語りましょう。このblogを読んでくれている若者は、今すぐ「夢」を語りましょう。そしてその夢に向かって「動いて」ください。そして自分が押っ立てた「壁」にぶつかってください。その壁を越えるのか壊すかは、壁を押っ立てた君が決めること。逃げてもいいけど、逃げるなら前に向かって逃げなさいよ。

 

【ひとりごと】壁の次は真っ白なキャンバスです

Read Full Post »

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。