Feeds:
投稿
コメント

Archive for 2012年5月26日

動と静のつかいかた

少し前にある後輩に「動と静の使い方」について話をしたことがあった。その彼は当時、常に動いていたのだが、そんな彼を見ていて少し心配になったので、この話をしました。「動と静」というと昔から話に挙がるのが「教育現場」においての話。「動」のときは、子どもたちが活発に意見を言ったり、笑ったりする。「静」のときは、子どもたちが一転して静かに、黙々と作業をする。そういう授業をよい授業というらしい。またそういう指導ができる教師を、すぐれた教師というらしいです。この「教育現場」で使い分けされていることになぞって、常に動いている彼を当てはめてみると、彼には「静かに、黙々と作業をする」ということが完全に欠けていたのだと思う。

 

この話をそんな彼にしたとき、彼は一見普通の表情をしていたことが、とても印象的だった。基本、素直な良い後輩なのだが、そのときは「キョトン」としていたようにも見えた。数ヵ月後、彼は僕の前で、悔し涙を見せながら、こう語った。「先輩が言っていたこと、ようやくいま理解できました。僕には「静」がなさ過ぎました。」と。僕が常々口にする「カタチにする」という言葉は、どう生まれたのかというと、悔し涙を見せた彼と同じ経験があったからだと思います。僕も若かった頃、常に「動」しかないような感じでいました。常に動けている、常に人と会っている、常に笑っている、って素晴らしいことなんです。さらに、とても生きている感じもしていました。ですが、な〜〜んにも残らないってことを、その当時感じてもいませんでした。な〜〜んにもってことは決してありませんが、そんなに動いているのだから、一つや二つは、何か成し遂げたんじゃないの?と言われると、「・・・」となってしまう自分がいたのは間違いありませんでした。

 

教育現場における「動と静」では、「動」は活発に意見を言ったり、笑ったりする、ということ。「静」は静かに、黙々と作業をする、ということ。そして、その「動と静」を提供できるのは、「いい教師」だということ。“いい教師になりましょう!”と言っているのではなく、「いい教師」のような立ち振る舞いが出来るように、「動と静」を使い分けしていかなくてはならないのだということ。さらに、僕なりのニュアンスですが、「動」で手に入れたモノを、「静」にてカタチにする、これこそが「動と静」を使い分けすることなのだと思います。

 

僕の周りには、この「動と静の使い方」が上手な方々が大勢います。そんなカッコイイ方々を観察していると、ローギアからいきなりトップギアに加速し、そしてまたいきなりローギアにシフトチェンジをする様を見ていると、ものすごく勉強になるのですね。車なら普通エンジンに負荷がかかってしまうところなのですが、熟練してくると、エンジンに負担がかからない走りをするというよりも、強靭なエンジンを搭載しているようにも見えてきます。変な例え方www

 

でもこれだけは言っておきます。「動」を知らない人間には、「静」の良し悪しは理解できません。さらに、「静」しか知らない人間は、「動」にはなかなかシフトチェンジ出来ません。「動」を知っているからこそ、「静」を知る権利があるのです

 

【ひとりごと】来週月曜日が待ち遠しい

Read Full Post »

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。