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Archive for 2012年5月13日

〜彫刻を聞き、土を語らせる〜 西村陽平展

 

 

に行ってきました。今日は誕生日ということもあり、情緒を養うためにあえての美術鑑賞でした。先日この企画展のお知らせを知り、いい機会でしたので、自分の誕生日には行ってみようと決意していましたので、行けて安心。さらに、行って満足な内容でした。また、今の僕、そしてこれからの僕にとって、西村陽平という陶芸家は、大きな影響力をもたせてくれるのではないだろうか、とまで思わせて頂きました。この企画展に出逢えて感謝します。

 

「陶芸家 西村陽平」は、僕が思うに、「焼く」という行為を通して物事の本質を見極めようとした人なんだと思う。物事の本質を深く追求してきたから、結果としてあの夥しい作品が生み出されたのではないだろうか。「焼く」は「燃やす」ではない、と本人も企画展の中で口にしており、紙も本も果物も石も缶もトースターも焼いていた。ただし、「焼く」行為によって、物事の本質を西村陽平と同じような視線で捉えることは出来ないと思う。しかし、西村陽平の「焼く」作品から、物事の本質を見極めようとする視点や姿勢などは共有できたと思う。

 

西村陽平の作品のなかで、「焼く」ことの象徴的な作品がある。それは、「紙を焼く」という作品だ。詳しく説明すると、「本を焼く」という作品ではあるが、これが非常に興味深い。西村陽平自身、暮らしのなかで草むらの中に焼かれた本を発見したことで、発見したという「本を焼く」という作品。本人曰く、「普通は本は燃やすもの。本は燃えれば黒くなるが、本を焼けば白くなる。焼くことで本は無くならないし、消え去ることもない。カタチは残り続けるのだ。」と。

 

 

本によっても、焼いたあとの姿かたちはそれぞれで、この世に同じものは存在しない。西村陽平曰く、「ファッション雑誌は焼くことで、大きく膨らみ華やかだ。一方で、美術誌は小さくまとまり、今の美術業界を象徴しているようにしか見えない。」といった言葉も残している。この企画展でも、数百の文庫本を焼いた作品(作品名「200冊の文庫本と新書」)が展示されており、一個も同じ形態をしているものは無かった。もちろん、「少年ジャンプ」を焼いたものもあれば(作品名「9冊の少年ジャンプ」「10冊の少年ジャンプ」)、「NON-NO」を焼いたものもあった(作品名「Magazine」)。

 

 

「物事の本質を見極める」・・・この言葉を胸に秘め、30代は生きていこうかと思う。

 

また西村陽平の経歴には、盲学校の教諭をされていたということもあり、作品のなかに見たことないもの作ろう!というものもある。実際に、この企画展にも展示されており、内容は非常に興味深いものであった(これらの作品は視覚障害児が製作した作品で、情緒が激しく揺さぶられるものばかりであった)。この内容に関しては、いつかここでも触れてみたいと思う。また書籍もあるということなので、一度手にとってみたいとも思う(「見たことないもの作ろう!―視覚障害児の作品から学ぶ 千葉盲学校)。

 

西村陽平のプロフィールはこちら

 

【ひとりごと】今年も宜しくお願い申し上げます。お祝いのお言葉、多くの皆様に感謝申し上げます。

 

 

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