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Archive for 2012年5月

今日は獣医師会の会合に出席していました。個人的には非常に勉強になったと思っています。その獣医師会に向かう直前、つまり病院を出る直前にとある患者さんからお電話頂きました。その患者さんは、糖尿病のニャンコを飼われている方で、うちの患者さんでもあるのですが、基本僕は診ていません。この話を進めていく前に、今僕が診ている糖尿病の動物はワンコ1頭にニャンコ1頭のみです。当院が診ている全体数のうちのごく僅かでしかないのです。ただ、他の先生が担当しているワンコやニャンコの治療方針にアドヴァイスはします。ですが基本は、担当の先生が診てくれています。ですが、血糖値のコントロール操作は、僕が群を抜いて断トツに上手いということは言及しておきます。専門家ですからね。

 

話を戻しましょう。外出する直前に掛かってきた電話に出ると、いきなり「先生、明日いる?」でした。僕は「はい、いますよ。」と応えると、その患者さんは「先生、診てくれない?お願い。」と。僕は「はい、かしこまりました。お待ちしています。」と。患者さんは「明日ご飯食べてからでいい?」と。僕は「はい、構いません。ですが・・・」と言い掛けたとき、患者さんが「了解してます。インスリンは打たずに行きます。」と仰られました。僕は「(少し照れながら)は、はい、よくご存知で。」と。患者さんは「だって前に先生に言われましたもん。コントロールするときは、そうしろって。」と。僕は「そうでしたっけ?先に言われちゃいましたけど。」と。患者さんは「言いましたって。食後高血糖を診たいからってね。」と。僕は「はい、その通りです。」と応えると、患者さんは「じゃあまた頼みますよ!」と言ってくれました。

 

上記で展開した会話を読むだけでは、僕と患者さんが交わしている内容は伝わらないかもしれません。さらに獣医師でも伝わらないかもしれません。ですが、この会話にはものすごい大事なことがたくさんあります。それは、一度しか関わったことがない患者さんが、僕が言ったことを覚えていてくれてた、ということです。これは正直、たまらん!です。そもそも僕は糖尿病の動物を飼われている患者さんと初めてお会いしたときに言うことことがあります。これは絶対言っています。

 

「僕といっぱいコミュニケーションしましょう!!」

 

以前書いたブログ「糖尿病を専門として治療し続けて思うこと」でも紹介しましたが、糖尿病治療っていうのは「家族会議」みたいなニュアンスを持ち併せています。また、「相手の家庭に土足で入っていくようなきめの細かいやり取りも、糖尿病治療には必要」と言いました。ですので、僕が一番大事にしているのは、「コミュニケーション」です。糖尿病の治療には、時間も掛かりますし、同時にお金も掛かります。そして僕は言いたいのは、専門家である我々が、時間が掛かることとお金が掛かることを気にしてはいけない、ということ。時間とお金、これを気にしだすと、人間は表情に絶対的に出ます。それが、飼い主さんに伝わることだけはしていけないと、僕は思います。それら難問をカバーしていけるのが、「飼い主さんとのコミュニケーション」なんだろうと、経験上、よく思うのです。「気にしない」と言ってしまうのは印象が悪くなるので、あえてフォローしますが、動物病院の経営的な諸諸問題にも関わることですから、獣医師と動物病院側との交渉調整など、ビジネスライクな観点も獣医師には必要な要素になってくるかと思われます。また治療に際しての予算もあるかと思います。その予算内でバシっと決めれるようにするのもやはり「コミュニケーション」がモノをいうと思うのです。

 

【ひとりごと】このひとりごとを気にしてみてくれるひとがいるらしい

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自分は素直がどうか言われると、答えはYESだ。だが、時と場合によっては、答えはNOにもなる。でも、そんなもんなんだろう。おそらく前者は、好奇心に駆り立てられていたらYES!!と言うだろうし。やはり一筋縄でいかないのが、後者であって、それは多くの感情がひとりの人間なかでうずめいているからに違いないからだ。

 

人はなかなか我を捨て去ることはできない生きものであり、それを捨て去ってしまったら、とてつもなく面白みのない生きものにもなってしまう。だが、こう言い続けても仕方がないときはやってくる。そしていつかは自分の我を捨ててまで、教えを乞わなければいけない瞬間というものはやってくる。体で多くの感情がうずめくなか、勇気を振り絞るか、一大決心するかはそれぞれにお任せするが、そんな人が素直になれる瞬間こそが、その人の器の大きさを計ることができる瞬間でもあり、その人の人間としての素晴らしさに触れれる瞬間でもあるのだと思う。NOからYESになるまでで、これだけの多くの感情がひとりの人間のなかで行き来するのだ。僕は、他人に対してのこの瞬間が垣間見れるときが、無性に好きな変わった人間でもある。

 

一方で、その逆ももちろんのこといる。何時まで経っても我を捨てず、最後の最後まで自分のなかにある多くの感情によって踏み潰された人もいれば、その感情たちに飼い殺されてしまう人もいる。表と裏があれば、その逆もあってもおかしくはない。「飼い殺されれる」という表現方法は、いささか激しすぎるものではあるが、僕にとって素直ではない人間は皆そう見えてしまってしょうがないのである。その人と僕とが、どういった関係であるかなんてどうでもいい。既に僕は大人の付き合いを、全ての人間とさせてもらっているつもりである。

 

「損して得取れ」とはよく言ったもんだ。

 

【ひとりごと】とくになし

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壁は壁でも、自分が押っ立てた壁のことです。僕が生まれて初めて押っ立てた壁は、大学生の頃まで遡ります。「あれもしたい!これもしたい!」という感情のまま、いきなり起業して数カ月後に経験したのが、生まれて初めて押っ立てた壁でした。内容に関しては割愛しますが、その壁を越えるには相当時間が掛かると思った若かりし頃の僕は、壁を越えずに、壁をぶっ壊すことに専念したのを、今でも覚えています。

 

壁。僕は「壁」を語りましたが、前提として「自分が押っ立てた」としています。このニュアンスは、僕のニュアンスでもなく、尊敬する芸術家「岡本太郎」が言い残した言葉であります。岡本太郎は、「壁は所詮自分が押っ立てた壁にしかすぎない。だから壁を越えるのも壊すのも自分だけ。」と言っています。この言葉に出会ったのは、相当昔ですが、上記で紹介させてもらった頃の自分が、この言葉を冷静に思い出して、「壁を壊す」という行動に出たわけではありませんがね。

 

「壁」って一体何なんでしょうね。答えは人それぞれあるかと思います。またその壁を「越える」のか「壊す」のかも同様にです。僕が言いたいのは、「壁」を経験しているかしていないかは、僕が人を視るときの極めて重要な指標になるということです。壁を越えたか壊すかはさほど僕の中では重要視していないは事実で、如何に「壁を経験している」かを僕は重要視しています。全員が全員、「壁」を経験しているとは限りません。少し前に書いたblogでもそうですが(動と静の使い方)、「動」を知らなければ「静」も知る由もないということ。つまり、「動」を得るにはフットワークが必要になり、腰が重い人間は「動も静」も経験出来ずに生きていくということ。これと「壁」はかなり類似していると僕は思っており、「動」が無い人間の前には「壁」も立つことも無いことでしょう。

 

根本的に、「壁」を知っている人間は、「己の夢」を語ってくれます。友人の言葉を借りますが、「夢を忘れないこと」。この言葉をなぜ友人が言ったのかわかりませんが、「夢を語る」ことを忘れてしまっている人間が最近は多くいるような気がします。それか、「夢を語る」こと自体が忘れ去られているようにも思えます。僕が若かった頃、多くの夢を多くの仲間らと語った記憶があります。その仲間たちは、その後、自分が押っ立てた「壁」にぶつかり、必死にもがいたはずです。それがどんな結果であっても、素晴らしい経験をしていると思います。

 

とにかく「夢」を語りましょう。このblogを読んでくれている若者は、今すぐ「夢」を語りましょう。そしてその夢に向かって「動いて」ください。そして自分が押っ立てた「壁」にぶつかってください。その壁を越えるのか壊すかは、壁を押っ立てた君が決めること。逃げてもいいけど、逃げるなら前に向かって逃げなさいよ。

 

【ひとりごと】壁の次は真っ白なキャンバスです

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音が弾ける

先日の獣医師3名による企画モノblog、「人生を変えた、あの人の、あのひと言」は如何でしたか?個人的には企画立案をした人間ではありませんので、周りの方々の感想や感触を聞いてみると非常に面白い意見がチラホラありました。たった3人だけの企画でしたが、今度は一斉に100人やってみるのも面白いのではないでしょうか笑

 

今日のタイトル「音が弾ける」を付けた理由は後述致しますが、何人かの仲間と企画をするということはイイですね。ですが、やるからには「反響」という目に見えない抽象的な事象も感じておきたいところ。じゃあどうやったら感じれるのか?正直それは人それぞれだと思います。僕的には、反響という抽象的な事象はいつも「音」で感じるように心がけています。これこそ「反響音」といいますでしょうか。

 

ご紹介したいblogがあります。先輩方のブログ企画をみて 「人生を変えた、あの人の、あのひと言」このblogの管理者は以前も紹介しましたが、とある獣医学生の後輩です(前回ご紹介したblogとある獣医学生の就職活動動向を見ていて感じて」)。タイトル通り、完全に触発?悪ノリ?していますね笑。彼の人間性を知る僕としては、非常に面白い乗り方だったので紹介したかった・・・のではなく、彼のblog記事そのものが、僕が感じる「音」だったので紹介させてもらいました。

 

僕は「反響」という抽象的な事象を「音」という捉え方をしているだけでしかありません。ですが、「音」と捉えてあげたほうが面白いし、その「音」が多く集まれば、それは「楽曲」になってくれます。物事とは、静寂さのなかで動きひしめく事象でなく、多くの生きた人間たちによって激しく動きひしめく事象であると思っています。どうせなら、自分たちが弾け出す「音」に対して、激しく「音」で弾け返してもらいたいものです。今回紹介した彼の存在自体が、僕らに対し、「音」を弾け返してくれました。心より感謝です。まだまた数が足りないので、「楽曲」として奏でることはできませんけれど。

 

なぜ僕は、いつも反響という抽象的な事象を、「音」で感じているかというと、いつか皆々から聞こえ、弾け返ってくる「音」を全部ひっくるめて「楽曲」にし、奏でたいと心から思っているからです。それが、「喜び」「怒り」「悲しみ」「不満」「不安」という事象であっても、全部ひっくるめてです。僕が奏でる「音の撃」を弾け返してくれる人間こそが僕の仲間でもあります。

 

【ひとりごと】音を出せない人間はフットワークの欠片も無い

 

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このたび、やたらと人生にアグレッシブな獣医師3人が「同じテーマ・同じ時間」にブログをアップする企画を始めました☆

目的はとくにありませんがこの3人でこれをやれば面白いじゃない!?と大のおとなが無邪気に無鉄砲に始めてみました☆

3人のブログを見比べることで、ちょっとした個性の違いを感じとってもらい、少しでも「面白いなw」と感じてもられば嬉しいです☆

【3人のブログ】

●松波登記臣ブログ 松波動物病院勤務(日本大学出身)
https://tokiomatsunami.wordpress.com/
●寺内光宏ブログ 帯広畜産大学勤務(日本大学出身)
http://vetterra.wordpress.com/
●柳澤洋喜ブログ 農林水産省勤務(麻布大学出身)
http://ameblo.jp/v02132

 

「人生を変えた、あの人の、あのひと言」

 

どうもこんにちは、松波です。このような素敵なタイトルを官僚のヤナギから預かりましたw このタイトルを最初に拝見させてもらったとき、「他人に人生を変えられた経験が無い自分はどうしたもんか・・・」と正直思いました。屁理屈を言うようで申し訳ありませんが、これまでの短い人生で「人生が変わった!!」と思ったことが無いのはしょうがないのではないでしょうか。しいて言えば、「自分の人生を変えたのは自分で、人生を変える?キッカケをくれた尊敬する人ならいます」と言っておきましょうか。

 

「小事にこだわる人生はあまりにも短いぞ。」

 

これが僕の人生を変える?キッカケになった言葉です。これを僕に言ってくれたのは、親父です。この言葉には続きがあります。

 

「自分を大事にし過ぎることで、今の自分しか見えなくなる。そして不安になる。大いに自分をさらけ出すことで、そして大いに傷つくことで、お前の人生は太く長くなるだろう。それが人生というもの。」

 

言った本人はとうの昔のことなので、完全に忘れているかと思いますし、そういう人です。それが親父の良いところなんです。僕はこの言葉を頂いたのち、仕事で大きな失敗をします。その失敗というのは、おそらくこの先もなかなか僕の目の前に訪れることはないような気がします。そんな大きな失敗を、そのときの仲間たちと長い時間を掛けてクリアし、そこから諦めず再起したときに、「あぁ結構タフになったな俺」とか「やばいなぁ仲間のチカラって」と、終電の湘南ライナーを乗っているときに呟いたことを、昨日のように覚えています。

 

これが今回のお題である、「人生を変えた、あの人の、あのひと言」に正確にアダプトしているかどうかはわかりませんが、人生を変える?キッカケになったことには間違いありません。ただし、親父に熱い言葉を頂戴する度に、その後、大きな山場を迎えることが結構あるので、あまり言って欲しくないのですがね。

 

【ひとりごと】この企画はレギュラー化するのか?

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「和を以て貴しとなす」

 

「和を以て貴しとなす」という言葉、日本人には一番知れ渡っている言葉でもあります。聖徳太子「憲法十七条」で出典している言葉です。意味は、現代風に言うと、完全無欠にほど遠い人間が公共の利益を実現するためには、派閥的なこだわりを捨てた公正な議論が欠かせず、そのためには各自が私心を去らねばならない。 といったところでしょうか。

 

僕自身この意味にはあまり賛成でも反対でもない側の人間かもしれません。意訳しているかもしれませんが、先述した現代風の意味に出した「・・・各自が私心を去らねばならない。」というところに違和感を感じているからです。私心というものは、「自分ひとりの利益をはかろうとする気持ち」を指しますが、「そこまでの気持ちを抱いた経緯が気になりませんか?」と言いたい。どういう理由で私心を抱くようになったのか?また今ある既成のものよりも新しいものを創り上げることで抱くのか?などなど。

 

「和を以て貴しとなす」という言葉を口出せる環境は、今の世の中に果たしてあるのだろうか?夢を語らなくなった若者たち。働き盛りの30代前後〜40代前後までの人間が仕事と家庭のバランス重視をしている社会。それに対して、僕は特別な感情はありませんが、こんな世の中だからこそ、様々な私心を抱き、人の3倍も4倍も働く人もいることは確かです。そういう人たちにだけ、「和を以て貴しとなす」という言葉を口出せる環境が提供されているのだろうと思います。もはや当初意訳していた「和を以て貴しとなす」の意味を為さなくなっていますが、夢を語り、悩みを打ち明け、互いのビジネスに対し、ディスカッションをする。他人の私心にまつまる悩みや不安、そして歩みや問題点を共有する。そう、これこそがシェア。

 

シェアをし続けるモチベーション、そしてイマジネーション。今の時代こそ、私心を抱く者こそが道を切り拓き、そして「和を以て貴しとなす」場所を創り、多くの仲間たちとシェアし続け、これからの新しいこの国この世界を創っていってくれるのだと思う。

 

【ひとりごと】今日はため息が多いと言われ凹んだ

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動と静のつかいかた

少し前にある後輩に「動と静の使い方」について話をしたことがあった。その彼は当時、常に動いていたのだが、そんな彼を見ていて少し心配になったので、この話をしました。「動と静」というと昔から話に挙がるのが「教育現場」においての話。「動」のときは、子どもたちが活発に意見を言ったり、笑ったりする。「静」のときは、子どもたちが一転して静かに、黙々と作業をする。そういう授業をよい授業というらしい。またそういう指導ができる教師を、すぐれた教師というらしいです。この「教育現場」で使い分けされていることになぞって、常に動いている彼を当てはめてみると、彼には「静かに、黙々と作業をする」ということが完全に欠けていたのだと思う。

 

この話をそんな彼にしたとき、彼は一見普通の表情をしていたことが、とても印象的だった。基本、素直な良い後輩なのだが、そのときは「キョトン」としていたようにも見えた。数ヵ月後、彼は僕の前で、悔し涙を見せながら、こう語った。「先輩が言っていたこと、ようやくいま理解できました。僕には「静」がなさ過ぎました。」と。僕が常々口にする「カタチにする」という言葉は、どう生まれたのかというと、悔し涙を見せた彼と同じ経験があったからだと思います。僕も若かった頃、常に「動」しかないような感じでいました。常に動けている、常に人と会っている、常に笑っている、って素晴らしいことなんです。さらに、とても生きている感じもしていました。ですが、な〜〜んにも残らないってことを、その当時感じてもいませんでした。な〜〜んにもってことは決してありませんが、そんなに動いているのだから、一つや二つは、何か成し遂げたんじゃないの?と言われると、「・・・」となってしまう自分がいたのは間違いありませんでした。

 

教育現場における「動と静」では、「動」は活発に意見を言ったり、笑ったりする、ということ。「静」は静かに、黙々と作業をする、ということ。そして、その「動と静」を提供できるのは、「いい教師」だということ。“いい教師になりましょう!”と言っているのではなく、「いい教師」のような立ち振る舞いが出来るように、「動と静」を使い分けしていかなくてはならないのだということ。さらに、僕なりのニュアンスですが、「動」で手に入れたモノを、「静」にてカタチにする、これこそが「動と静」を使い分けすることなのだと思います。

 

僕の周りには、この「動と静の使い方」が上手な方々が大勢います。そんなカッコイイ方々を観察していると、ローギアからいきなりトップギアに加速し、そしてまたいきなりローギアにシフトチェンジをする様を見ていると、ものすごく勉強になるのですね。車なら普通エンジンに負荷がかかってしまうところなのですが、熟練してくると、エンジンに負担がかからない走りをするというよりも、強靭なエンジンを搭載しているようにも見えてきます。変な例え方www

 

でもこれだけは言っておきます。「動」を知らない人間には、「静」の良し悪しは理解できません。さらに、「静」しか知らない人間は、「動」にはなかなかシフトチェンジ出来ません。「動」を知っているからこそ、「静」を知る権利があるのです

 

【ひとりごと】来週月曜日が待ち遠しい

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