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Archive for 2012年4月8日

『カルチュラル・スタディーズ』

 

昔、カルチャー(文化)にハマったときに知った言葉だ。

 

カルチュラル・スタディーズ (Cultural studies) は、20世紀後半に主にイギリスの研究者グループの間で始まり、後に各地域へと広まって行った、文化一般に関する学問研究の潮流を指している。政治経済学・社会学・社会理論・文学理論・メディア論・映画理論・文化人類学・哲学・芸術史・芸術理論などの知見を領域横断的に応用しながら、文化に関わる状況を分析しようとするもの。(Wikipediaより)

 

僕がカルチュラル・スタディーズについて話すのは、およそ3年振り。3年前に、僕は大事な人らを失い、そして自分の性格を180度変えた経験を持っている。そのときのことは、今でも覚えてて、自分のいい所であろうところと悪い所であろうところを半分ずつ捨てて、新しいいい所であろうところと悪い所であろうところを追加した。「・・・あろうところ」の表現型には今はあまり深く触れるつもりはないが、自分自身の長所短所は、自分では正直わからないからだ、と言っておいたほうが自分が楽になるから、そういう表現を使っている昔から。

 

カルチュラル・スタディーズの醍醐味は、今の自分の立ち位置を再認識できたり、再発見できたりするところ。「自分の長所短所は自分ではわからない」とまで言っている自分が今さら何を言うのか?と思うけれど、これだけは特別である。

 

先日Facebookにこういう記事を書いた。

 

音楽を音楽人より愛している人らが集まってカタチにした活動が「青空の下の大演奏会」。素敵過ぎる、この活動。

 

この記事に、「現代人がうしなってしまった“音楽の記憶”について、想いをはせます。」とあるが、それは『音楽』に限った話ではないと思った。音楽はカル チャーの一つだけど、カルチャーは他にも多くある。そして日本には多くのカルチャーがあって、さらにはそれが地域地域に根づいている。知識、信仰、芸術、 道徳、法律、慣行などなど。そして、これらカルチャーから知る情報をミームと呼ぶが、ミームは僕らの生活に深く深く関与しており、人から人へ伝達されている…無意識のなかで。

 

昔からよく考えているのだが、無意識のなかで、それぞれの生活のなかに根づいている文化に影響され、それがどうやって自分の社会活動に影響しているの か?、ということを。人がこの場所で働き、そしてこの場所でモノを買い、そしてこうやって使うなどなど。昔勉強したカルチュラル・スタディーズ的な考えに 近いと思うのだが、今ようやく腑に落ちた、というか納得した。むちゃくちゃやってきた自分の人生はとてつもなく短いのだが、太く生きてきたという感覚だけはあった。だけれども、今自分を形成しているモノの捉え方や考え方、そして人とのコミュニケーションの仕方を、自分はどうやって養ってきたのかが、正直言って、藪の中な状態だった。そんな、今まで雲を掴むような感じでしかなかった、自分の働き方や考え方の原点が、なんとなくだが見えてきた。そしたら自然と嬉しくなってきた。熱くなってきた。まだまだ成長できる。

 

簡単に言うと、自分を取り巻く環境には、カルチャーという目に見えたり見えなかったりするモノが常に存在しており、それを通じて人は人間活動を行う。そういう意識のなかで、今自分が考えていることや手を動かさせてもらっていることを、超客観的に見てみると、カルチャーを通じて生きていることが明確になる。今まで出会った人たち、そして自分が自分の時間を作り、見てきた世界や文化、そして人間関係…自分というモノが、どうやって形成されてきたのかをまじまじと見つめ直すことが出来る作業が、僕にとっては、カルチュラル・スタディーズを勉強するということなのだ。

 

かなり骨が折れる作業ではあるが、そのくらいしてもなお、分からないことも多くある。それについては、僕はもう限界なんだと思う。だけど、こういう繰り返しのなかで、力を発揮し、輝くためには、僕にはもっともっと勉強しなくてはいけないことがたくさんあるんだということを、今日も学んだ気がする。そして、もっともっと多くの方々と出会い、そして勉強させてもらうことが、必要なんだとも思う。感謝の気持ちを忘れずに、生きていきたい。

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