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加計学園の獣医学部新設を巡る様々な報道が連日されているが、与党自民党に対し、世論を始めマスメディアまでもが非常に偏った内容で報道をしている。他にも向けられるべき対象は多く、野党民進党、地方創生担当大臣(当時も今も)、戦略特区WG、日本獣医師会、文科省および中央省庁、愛媛県知事(当時も今も)、今治市長(当時も今も)、加計学園などが挙げられる。私自身に偏りがまだあるのなら、上記列挙した以外にもその候補はあるのかもしれないが、強いて言えば、現場の声、つまり現場の獣医師たちもその候補に入っていても良いのではないかと思う。もっと今治、愛媛、四国の様々な職種に就いている獣医師たちの意見や情報を偏り無く収集して、それを報道してもらいたい。実際に、私自身も目にしたい耳に入れておきたいと思っている。

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外部からの評価

客観的に自分が置かれている立場や組織の評価というものを拝見したり拝聴したりするとき、何を思うのかは人それぞれであると思うが、私はいつも緊張している。良いように言えば真摯に、悪いように言えば適当にも。。。

 

 

先日当院に手紙が届いた。夏休みに動物病院実習に来ていた大学生からの御礼の手紙。そこに書かれていた内容は、ここ最近私が目にした耳にしたもののなかで、一番綺麗に書かれている手紙の内容だった。何をもって綺麗なのかと言うと、先述したように客観的な評価として私自身が為になったかどうかの度合いであり、この綺麗という評価は私自身の主観的なものであることは言うまでもない。。。以下に全文を(そのまま引用)。

 

 

 実習させて頂いた松波動物病院メディカルセンターは昭和49年に開院され、今年で41年目を迎える。地域に根差した医療を行い信頼と実績のある動物病院である。獣医師12名でそれぞれの専門を生かしながら看護師や受付などの全スタッフと協力して診察を行っている。
 院内はスタッフの人数も多く、検査機器などの医療設備も整っており高度な医療サービスを提供している二次診療のような特徴もあり、話しやすく親しみやすい地域に密着している小規模な動物病院のような特徴もあった。これだけの設備が揃っている動物病院は淡々と診察をこなしていくイメージがあったが、実習が始まり診察を見学させて頂くと飼い主とのコミュニケーションをとても大切にしていることがわかった。飼い主にどういう経緯で来院したのか、通院の場合は現状はどうなのかを自由に話をしてもらい、ところどころ質問し、飼い主が獣医師に伝えたいことを引出し、飼い主にわかりやすく、心のこもった説明をしていた。費用のことも考え、治療法もいくつか提案し飼い主と協力して治療を進めていくような感じであった。また診察だけでなくキンダーガーテンしつけ教室もあり、ペットと共に生活をしていくお手伝いをしている。
 真っ直ぐに向き合い心のこもった最高の医療を提供できるのは常に相手の立場にたち人それぞれの思いを自分に置き換え考えることができるからこそと思う。どんな最高の治療でも飼い主さんの負担が大きく家庭生活を苦しめてしまうものであればそれは最高の治療とはいえないということである。今回の実習で何よりも一番大切なことは“コミュニケーション”であるということを今更ながらに実感した。  

 

 

全文以上です。

 

 

当院で動物病院実習を経験した大学生の客観的評価ではあったが、私個人的には非常に良い経験をさせてもらった。外部からの客観的評価のなかでも大学生からの評価というものは、普遍的には特殊かつ稀な評価ではあると思うが、抽象的な言い方にはなるが【中立的な評価】に近いものがあると感じた。当院で従事している人間以外を対象にした時、外部からの評価は飼い主さま、取引先、周辺地域、その他(今回で言うところの大学生や専門学生)くらいである。そのなかでの大学生からの評価は機会も少ないし非常に稀であると思った。

 

 

また、この手紙には続きがある。謝辞である。そこはプライバシーポリシーに則り、控えさせていただくが、実習生自身の今後の学生生活における課題も書かれていた。それは、前述にも書かせて頂いたが、自身の“コミュニケーション能力”だった。学生同士のコミュニケーションと、社会人同士または買い手と売り手のコミュニケーションは比べられないくらい後者の方が険しく難しいものがあるということを、この実習中に認識した結果の吐露であると、この謝辞の文章中から私は感じ取った。その実習生が残りの学生生活のなかで、自分の課題である“コミュニケーション能力”をいかに、そしてどのように向上させるかは本人次第ではあるが、当院の動物病院実習を経て、大事なことを感じ取り、それを克服しようと気づけたことは非常に喜ばしいことであると思う。

 

 

今回の一件は、我々にとっても、そして実習生にとっても互いに良い経験をさせてもらったと思う。毎回の実習生はそうではありませんが。参考までに。。。

 

 

 

 

【ひとりごと】今期もよくがんばりました自分

黎明期

 

 

夜明けにあたる時期。新しい文化・時代などが始まろうとする時期。(国語辞書より)
ある事柄が形になる前の始まりの時期を表す。(Wikipediaより)

 

 

今年初めてのポストのタイトルの頭を「黎明期」という仰々しい言葉から始めてみました、お久しぶりです。このタイミングで記事を更新するきっかけからお話していこうかと思います。お付き合いください。

 

 

今年も残すところ5ヶ月を切りました。今年に入って半年と一ヶ月、自分のペースで仕事を出来ていると感じています。それも妻の献身的なバックアップあってのことだと思うのと同時に、会社スタッフ全員が、去年よりも逞しく、さらに自立心と志を持ちながら、今まで以上に自分に厳しく楽しく仕事に集中してくれているからこそだと感じ思っております。

 

 

今年に入ってから新しい動物病院が提供できるサービスを開始しました。

 

 

『まつなみ老犬クリニック』


 

 

日本国内におけるペットも高齢社会を迎え、様々な諸問題が存在しています。詳細は割愛しますが、高齢期を迎えた愛するペットに対し飼い主さま皆様が感じている不安や悩み、そして実際にご自宅でペットにしてあげれることを、我々動物の専門家である動物病院従事者たちが、一つ一つ丁寧にご相談に乗らせて頂き、ご自宅でペットにしてあげれること・動物病院でしてあげれることを、ご提供させて頂いています。

 

 

上記サービスは始まったばかりのサービスであり、今回のタイトル通り、今まさに黎明期であります。獣医師、動物看護師、動物理学療法士などが、これまで養った技術や経験を活かしたサービスであるのと同時に、健康面は勿論のこと、愛するペットと一緒に過ごしていかれる飼い主さまの心の支えにもなりたいという想いから、数年前から始めたいサービスでありました。実際に運営を始めてからまだ間もないですが、予想を超える反響を頂いています。これからも飼い主さま皆様のニーズに応え続けられるよう、精一杯頑張っていきます。

 

 

少しコマーシャルベースになってしまいましたが、繰り返しではありますが、今まさに黎明期であるサービスのご紹介させて頂きました。ですが、少し個人的な話にはなりますが、以前は新たなサービスをどんどんローンチさせ、ぐんぐん成長期に乗らせていきたい!という塊でしかなかった自分が、ようやく腰を据えて一つのサービスをローンチさせるに数年の時間を要し、じっくりじっくりこの黎明期を楽しんでいるとは、当時の自分を振り返ると想像もできないことでした。勿論、会社経営に携わるようになりもう4年目を迎えますが、自分の今の立場を強固にしていかなければいけない時期も同時に歩んでいますし、会社の成長を滞らせてはいけないという絶対的なリーダーシップと決断力を養わなければいけない時期でもありますので、あまりクリエイティブな方向に行き過ぎてもいけないと思ってはいましたが、良いですねやっぱり新しいサービスを誕生させるのは。

 

 

新しいサービスを始めるというタイミングと、今の自分のバランス感覚がしっかり平衡されているかどうかは、自分には正直わかりませんが、日常、やらなければいけないことを純粋にこなしていくなかに、これまで非日常的であったやりたいことが出来てきていることに、日々成長を感じております。未だ社長という役職においても黎明期である自分が、新たなサービスの黎明期を肌で感じながら過ごす日々は、とてつもなく貴重であると同時に、必ず自分の成長の糧になっていると信じています。今抱いている感情を意識するべく、新しい【何か】を常に創造できるようにしていかなければいけませんね。

 

 

 

 

【ひとりごと】支え支えられで自分はここまで成長しています

久しぶりのポストになります。2014年ももう終わりですが、そんななか、自分の周りに大きな変化がありましたことを今回のタイトルにさせて頂きました。暗中模索をする人、光明を得た人、私はどちらもポジティブにもネガティブにも捉えていませんが、一般的にはポジティブな方は後者であることは明確です。ですが、前者である暗中模索をする人には、その先、光を得れる機会もあるのだということも念を押しておきたいと思います。

 

 

まずは私的なことですが、今年一年間は私は暗中模索をし続けています。いったいいつになったら光が見えるのでしょうか?と大声で叫びたいところですが、年がら年中、また毎年、このようなことを言い続けて生きていくのが自分であるのだろうと感じています。そういったところで、あまり個人的にはネガティブにはならず、常に精進しながら頑張っていければいいかなと思っています。

 

 

ここからは自分の周りのこと。ある意味で自分の周りの個性を評価していることにも繋がりますが、それはそれで一意見であると割りきって今書いています。表題通り、暗中模索する人、そして光明を得た人が、私の周りにはいます。それもこの一年という短い日数の間にです。またその人らが、これからも模索し続けていくのか、もしくは光を見続けていくのかは、先のことであるので私にもその人らにも、分かりかねることだと思います。一年間のあいだに、模索し続けた人は、どのように一年間を過ごしてきたのか、そして光明を得た人はどのように今そこに立ってるのかを、見続けることが出来た私はすごくいい経験をさせてもらっているのだなと。そしてその人らとこれからどうやって付き合っていこうかと考えている次第です。

 

 

お互い、努力し続けていることに違いありません。また互いに結果も出し続けていることにも違いありません。ですが、暗中模索/光明を得る、という二つに分かれるという結果は、その中身、つまり質および量に関係してるのだと私は思ってます。努力の質および量、そして結果の質および量、によって更なる発展の違いは大きく変わってくるものです。特に、人間関係構築(コミュニケーション)、そしてそこから波及する求心力(リーダーシップ)、さらにそれらが事業と関わり合いながら生まれた革新(イノベーション)。このホップステップジャンプのような発展系をカタチとして残せれるかどうかは、最初のコミュニケーションが最も重要であり、ここに対する努力を全身全霊の力で注ぎ込めるかが、質を高めれると私は思っています。光明を得た人はそれに当てはまり、見事に努力の質を転換させながら良い結果にも繋がったのであろうと考えています。一方で暗中模索をする人は、一体どうだったのかというと、あまりにも自分の時間を使わなすぎたということに尽きます。光明を得た人が自分が持っている時間を、上記に挙げたコミュニケーションを育むことに費やした結果が上記であったように、自分の時間を活用できなかったことは、希薄かつ脆弱な関係性に繋がっていってしまう、ということです。

 

 

自分の時間の有効活用、自分のお金の有効活用、というものに昔から厳格に意識している私としては、上記の人らを近くで見ていると、このような喩えと考察をいつの間にかしていました。ベタな話、世界中の人たちにとって平等にあるものは「時間」と言われていますが、共感できるときと出来ないときが正直言うとありますが、普遍的にはYesであることには違いありませんので、持論を展開すると、どれだけ自分の時間を自分のために、他人のために、そしてお互いのために費やしたかが大事である、と私は経験則上、思っています。

 

 

以上です。今年最後のポストになるかもしれませんが、もう1回は登場したいと思っています。

 

 

【ひとりごと】良いお年を!

新人教育の続き

こんにちは。先日書いた記事「新人教育」の続きになります。

 

 

前回は「新人教育」をする側の心構えを私なりに書かせてもらいました。私がここ数年、部下や後輩らに接してきた経験から記したものですので、経験則からの多少の偏りはあるかもしれませんが、社会において教育を真摯に受け止められていらっしゃる方には、共通する思想は少しだけでも被っているのではないでしょうか。

 

 

今回は私が教育という抽象的な行動をし始めたばかりの頃の話をしたいと思います。

 

 

海外から帰ってきてから大学院に戻り、大学院生として研究をし始めたばかりの頃です。今から7年前くらいになるでしょうか。あの頃は、私自身の研究テーマを進める一方で、大学生の後輩たちに研究テーマを提供し、知識や技術を教授し、さらに卒業論文に向かわさせなければいけないという思いで、ものすごく必死に取り組んでいました。午前中は自分の実験を行い、そして論文を読み漁る。お昼すぎからは、大学の授業が終わる夕方までに後輩たちの研究テーマを復習予習し、夜まで後輩たちの実験に付き添い、そして夜から自分のデスクに戻り実験データをまとめ始め、論文を読みあさりながら自分の論文を執筆する。こう書き出してみますと、バランスよく取り組んでいるようにみえて、実際の力の入れようは自分が2割で後輩たちが8割くらい。非常にアンバランスな日々を過ごしていると感じながら、でもやり甲斐も感じながらの毎日を過ごしていました。

 

 

当時の私は、自分の実績よりも後輩たちが如何に楽しく実験をしてもらえるか。また、今この瞬間の経験をこの先に待っている社会に対応すべく経験と能力を養ってもらえれるかを重要視していました。極端な話、「自分よりも後輩たちを」の精神であったことは間違いありません。その研究生活を1年近く送っていた頃、自分の研究の進捗が予定通り進められていなくなっていたことは言うまでもなく、毎日が冷や汗かつ焦り、そしてプレッシャーの毎日でストレスフルでありました。そうなると、公私ともに何をやってもうまくいかない、理解してもらえない、成果を出されていない。。。

 

 

そんな底辺を這いずりまわっていた頃、尊敬する研究者でもあり、尊敬する教育者でもあるS先生に声を掛けてもらった際に、掛けられた言葉があります。それは、「バランス悪すぎ」というシンプルな一言でした。またそれに続いて、「君が今やっていることにがっかりしている。君一人で成り立っている社会はどこにもないということを認識しなさい。」とも。私は痛感しました。後輩たちのことに時間を割きすぎることで、私自身の上司とのコミュニケーションを疎かにしていたことも、さらに報連相も滞っていたことも、何より私の研究の進捗状況を現場のトップが理解していなかったことも。これらを整理して、理解したときは、本当に自分にがっかりしたことを、今でも昨日のように鮮明に覚えています。

 

 

「バランス悪すぎ」

 

 

良かれと思って取り組んでいたことが、自分をここまで追い詰めるとは思ってもいなかったことを、今だから冷静に思い返せれることもあります。勿論、その後はしっかりフォローできたと思っていますが、特に今回は触れることはしません。バランスを修正することは特に難しいことはなく、今まで目を向けていなかったところに目線を落とすだけで簡単に修正できます。今、経営者として部下に、そして獣医師として後輩の獣医師たちに、上記で経験したことは今活かされていると思っています。

 

 

誰かに何かを教えることを経験していない人が最も陥ることを挙げただけですが、上記でも紹介した「バランス」は人のものさしが十人十色であるように、人それぞれであります。ですが、他人から自分を眺められたとき、「あの人はバランスが取れている」もしくは「あの人の指導や教育の仕方には筋が通っている」と感じてもらえているなら、それはそれで成功なのではないでしょうか。

 

 

【ひとりごと】その渦中にいるときは、大事なことが見えないもの

新人教育

お久しぶりです。ここ数ヶ月間、言葉を文章に著すことに何か抵抗がありまして、なかなかブログの更新が出来ていませんでした。難しい文章を展開しがちな傾向にある私は、テーマも難しいものを意識的に選んでいたように思えます。そうするとブログ離れ?更新下手?になってしまっていました。

 

 

私が好きなテーマを書いていくことがやはり良いと思いましたので、今回の表題は「新人教育」。いきなり教育を語ろうとしてしまっていますが、少々のお時間、お付き合いくださいませ笑。私は大学の教員でも専門学校の教員でもありませんので、オフィシャルな教育者ではありません。ですが、会社経営をしている傍ら、獣医師として後輩たちに様々なことを常に教えている立場でもあります。獣医師だからといって学術的なことばかりとも限りません。例えば、飼い主様とのコミュニケーションを育むために必要な経験とスキルについて話をしたりもします。それ以外にも、地頭力を養ってもらうために(いわゆる論理的思考)、私への報告を受ける際は、必ず結論から言ってもらったり。。。面倒くさい上司ですね笑。ですがその繰り返しで、話の内容がわかりやすくなったりしていきます。それが学術的な要素を含んだ話、つまり診療においても展開されると飼い主様との良好なコミュニケーションにも繋がっていくことも言うまでもありません。誰もが大学を卒業したての頃から論理的思考を持ち合わせているとは限りませんし、誰とも良好なコミュニケーションを築けるスキルを持っているとも限りません。それら2つのスキルをはじめから持っている人は、確率論からいうとかなり低いのではないでしょうか。そもそも私が言っていることも何も変哲もない当たり前のことにしか過ぎませんが、この現実を理解し、新社会人たちと真摯に向き合えるかが、教育者としての心構えのようにも感じています。

 

 

「何でこんなこともできないんだ。」と、入社したばかりの新社会人に向かって、私は口が裂けても言えません。何故ならば、先述したとおり、それが『普通だから』ということ理解しているからです。先輩への飼い主様への報告や説明が最初から「わかりやすく」かつ「コミュニケーションが良好」な新社会人なんて・・・とは言い切れませんが、少し可愛くない気もします笑。教育する立場にいる側の人間らが、それを100%理解することも人間ですからね、正直難しいことではありますが少しだけの我慢と辛抱さえあれば、新社会人に対してずっと真摯に向き合っていけれると思います。

 

 

これまで教育する立場にいる側の心構え?の話をしてきましたが、逆に教育される側でも絶対的に必要なスキルについて少しだけお話します。それは結論からいいますと、『素直さ』です。「はい」「わかりました」「気をつけます」「すみません」「お疲れ様です」「おはようございます」・・・この6つで簡単に、そして良好に職場の先輩方とはお付き合いできるのではないでしょうか。この6つに限定した話ではありませんが、『素直さ』をスキルという理由は、社会人全員に備え付けられていないものだからです。30歳であっても、50歳でもあっても、80歳であっても、無いものは無いのです。それが、20歳ちょい過ぎの年齢で、身についているなら、それはスキル以上の武器になります。すべて上手くいくと思います。大事ですよ『素直さ』。

 

 

【ひとりごと】ゴルフはじめました

こんにちは。今日はお日取りも良いということで結婚式が多かったみたいですね。私も従兄弟の結婚式に出席してきました。5つか6つ離れている可愛い従兄弟でして、めちゃくちゃシャイボーイ。でもかっこ良かったですね。お幸せに!

 

 

夕方からの結婚式だったということで、午前と帰宅後は読書をしていました。最近よく読む本は経済本やビジネス本が多かったので、非日常的な本を選んでみました。

 

 

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デカルトの方法序説(岩波文庫)。哲学本の翻訳家として私は谷川多佳子さんが好きなので、この方法序説しかデカルトの本は持っていません。それゆえに、かなり偏っているデカルト雑学の持ち主なのかもしれないので、今日ココで書くことはスルーしてもらってもいいかもしれません笑。デカルトといえば、

 

 

我思う故に我あり

 

 

ですね。近代精神の生みの親として、この言葉を誕生させたデカルトは、今も尚、多くの哲学者たちから叩きに叩かれている一方で、多くの哲学ユーザーから絶大な支持を受けています。私個人的には、「我思う故に我あり」は深いような浅いような印象しか持っていません。でも哲学なんて読む日なんて、【非日常】だと間違いなく私は思うのです。でも【非日常】な話や出来事なんて、普通に生活していても訪れることはまず無く、受身生活なら尚更です。だからといって能動的な生活(自ら【非日常】を送る)もどうかと思うので、私は読書をします。小説でも、啓発本でも、またビジネス本でも、経済本でも、読書は何でも【非日常】と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私はあえて「哲学本」だけは【非日常】と思うので、「哲学本」が好きです。こういう文章、そして私が言うこれこそが、「我思う故に我あり」ですね。意味を知っている、もしくはデカルトを少し知っている人なら、御理解頂けるかと思いますが笑。

 

 

自分の見える風景は自分にしか見えない風景(情景)であって、同じ場所から同じ方向を他の人が見ると、それは全く違うかもしれない。ざっくり言うと、そういうことだと思います。これ以上突っ込み過ぎると、真理論/精神論に突入しますのでやめておきます。でもおススメですデカルト。デカルトを知ったのは今から10年ちょっと前。そして私なりにこの難解な言葉を自己解釈してから、旅行好きになった思い出があります。ついでにそれからの海外旅行は一人でしか行かなくなりました。それだけデカルトは私にとって大きな存在だったのかもしれません。「なぜ一人旅?」とよく聞かれましたし、「なぜ誰にも言わないの?」とかも笑。その時期の海外旅行、全く連絡も取らないし、家族や友人にも行ってきます!とかただいま!とかの報告も連絡していませんでした笑。今考えると、おかしな人です笑。

 

 

なぜそこまでしていたのか?というと、まず海外旅行を一人で行く理由は、例えば世界遺産を見に行ったら、そこでの風景や情景に浸ること、感動することに違いないのですが、そこで他の人の感想とかを聞きたくなかっただけ。また旅立つ前に連絡しなかったのも帰国して報告しなかったのも、余計なこと(ざっくり言うと、行ったこともないのに勝手に形成した印象とかを言われないため)言わさないため。。。極端過ぎたなぁって今は後悔しています笑。でもテレビで観たり雑誌で読んだりする、その国の自然や世界遺産、そして情報を鵜呑みにしなくなったことは、私自身の進歩だと思っています。『目にみえないものは信じるな』じゃないし、『すべてを疑って生きろ』でもない。でも、自分の目で見たもの、そして自分の耳で聞いたことには責任を持ちたい、だたそれだけ。でもその責任は元から自分の中にしかないんですけどね。

 

 

タイトル通り、【非日常】的読書は私の生活にとって非常に大切な行動です。それのおかげで、自分の行動範囲やコミュニケーション力、そして世界のあちこちに友人ができました。つまり、私は【非日常】なことから自分を進歩させたのかもしれません。世の中に出回る、「意識を上げろ」とか「当事者意識を持て」とかは綺麗事以上にしか思えないのは、こういう背景からなのだと思います。自分の生活の、とある一部分、だけに変化を付けたりするだけで、人は変われると思っています。バラエティーから報道、漫画から小説、雑誌から新聞、ギャンブルから寄付、、笑。では。

 

 

【ひとりごと】6月もがんばります。宜しくお願い申し上げます。

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